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フィリップ・ド・ブルゴーニュ (1389-1415) : ミニ英和和英辞書
フィリップ・ド・ブルゴーニュ (1389-1415)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フィリップ・ド・ブルゴーニュ (1389-1415) : ウィキペディア日本語版
フィリップ・ド・ブルゴーニュ (1389-1415)[ちょうおん]

フィリップ・ド・ブルゴーニュPhilippe de Bourgogne, 1389年12月 - 1415年10月25日 アジャンクール)は、ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディとその妻のフランドル女伯マルグリット3世の間の末息子。ヌヴェール伯(1405年 - 1415年)およびルテル伯(1407年 - 1415年)。ヌヴェール伯としては「フィリップ2世(Philippe II de Nevers)」と数えられる。
ブルゴーニュ公爵夫妻の第9子、五男として生まれた。長兄ジャン・サン・プールはブルゴーニュ公、次兄アントワーヌブラバント公、長姉マルグリットはバイエルン公ヴィルヘルム2世の妻、次姉カトリーヌはオーストリア公レオポルト4世の妻、三姉マリーはサヴォイア伯アメデオ8世(対立教皇フェリクス5世)の妻である。
1404年に父が死ぬと、翌1405年4月にアラスで2人の兄と相続協定を結び、分封領としてヌヴェール伯領を分与された〔堀越孝一 『ブルゴーニュ家』 講談社現代新書、1996年、P30〕。1407年1月、次兄アントワーヌがブラバント公位に就いたことに伴う相続協定の修正により、アントワーヌからルテル伯領をも譲られた〔。
フィリップは百年戦争中に勃発したにおいて長兄ジャン・サン・プールを支持したものの、イングランド王ヘンリー5世と同盟することはせず、1415年のアジャンクールの戦いに次兄アントワーヌと一緒にフランス軍側で参戦し、戦死した。
== 子女 ==
1409年4月9日、ベッドフォード伯・ソワソン伯・アンゲラン7世の娘イザベル(1411年没)と結婚した。間に2人の子女をもうけるが、いずれも夭折した。
*フィリップ(1410年 - 1415年)
*マルグリット(1411年生、夭折)
1413年6月20日、ウー伯フィリップの娘ボンヌ・ダルトワと再婚し、2人の息子をもうけた。
*シャルル(1414年 - 1464年) - ヌヴェール伯、ルテル伯
*ジャン(1415年 - 1491年) - エタンプ伯、ヌヴェール伯、ルテル伯

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フィリップ・ド・ブルゴーニュ (1389-1415)」の詳細全文を読む




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